電気工事・空調工事を中心にあらゆる設備工事を
安心とともに提供する、フィデス株式会社(千葉県)

FIDESレター

設備の錆と腐食-FIDESレター【2024年7月号】

FIDESレター 2024年7月号

設備の錆と腐食

設備の錆と腐食

設備に襲い掛かる「錆」

夏期は湿度が高く、錆が発生しやすい季節です。錆びは電気設備や機械設備の大敵であり、機能や寿命を著しく低下させてしまいます。錆や腐食を防ぐためにはどのような対策が必要なのでしょうか。今回は、設備における錆や腐食のメカニズムとその防止策について特集します。

設備に襲い掛かる「錆」

錆と腐食の仕組み

腐食とは、金属がその周囲の環境と化学反応を起こして劣化する現象を指します。主に酸素や水、化学薬品、塩分などとの反応が原因で、金属の構造や機能が損なわれます。日常、私たちが最も目にする身近な錆びは、鉄(Fe)の錆びですが、鉄は、雨などで水に濡れると表面の水分が鉄を溶解し、イオン化が始まります。水分が鉄から電子を奪い、鉄は『Fe2+』という鉄イオンになり、さらに電子を失って『Fe3+』に変化します。このFe3+は陰イオンOH-と結びついて水酸化鉄イオンとなり、最終的に水分が蒸発して『酸化鉄(Fe2O3)』、すなわち錆が生成されます。

錆と腐食の仕組み

設備が錆びてしまう主な要因

照明器具や受変電設備など、多くの設備は金属で構成されています。設備が錆びてしまう主な要因としては、紫外線などにより金属の塗装部分が剥がれる、降雨時に雨水が金属部に溜まる、温度差によって結露が金属内部に発生する、海などからの飛来塩分や動物の尿などが金属部に付着して腐食を促進させることなどが挙げられます。

設備が錆びてしまう主な要因

設備の錆による被害と対策

屋外キュービクル

屋外キュービクル
錆びによるリスク

●物内停電
●電気火災
●波及事故
●感電

キュービクルは、高圧の電気を変圧し建物内へ配電するための設備です。外箱は鉄製なので、経年や利用状況によって錆が発生することがあります。箱の中は高圧の受電設備なので、錆が進行すると漏電や電気火災、波及事故※1の原因になるおそれがあります。

>>対策例<<

●錆の箇所が少ない、もしくは小さい場合は、塗装処理などで補修する
●錆が酷い場合は、キュービクル本体ごと更新する
●沿岸地域に設置する際は予め錆止め塗装を施す

外灯(街路灯・防犯灯など)

外灯(街路灯・防犯灯など)
錆びによるリスク

●本体倒壊
●器具落下
●照明不点灯
●漏電

屋外に設置される外灯は、照明器具本体の部品が錆びて劣化する他、器具を支える照明柱(ポール)が経年劣化や動物の尿などにより錆びてしまうケースが多く発生しています。また、この柱の根元が錆びてしまうと、柱ごと倒れるおそれがあり、大変危険です。

>>対策例<<

●錆の箇所が少ない、もしくは小さい場合は、塗装処理などで補修する
●錆が酷い場合は、照明器具とポールごと更新する
●リニューアル専用ポール※2で更新する

エアコン室外機

エアコン室外機
錆びによるリスク

●動作不良
●冷媒ガス漏れ
●(架台の錆)本体の転倒・落下

エアコンの室外機は、海沿いなどの潮風にさらされた環境に置くと、本体の金属部分が錆びやすくなるため注意が必要です。内部のファンモーターを支えている金具が錆びるとファンが回らなくなったり、制御基板が錆びると動作不良になり動かなくなるおそれがあります。

>>対策例<<

●錆の箇所が少ない、もしくは小さい場合は、塗装処理などで補修する
●錆が酷い場合は、室内機と室外機ごと更新する
●耐(重)塩害地域※3仕様の室外機に更新する

※1波及事故とは?

波及事故とは、一軒で起きた電気事故が周りに波及し、付近一帯のビルや工場また一般家庭までも停電させてしまう事故のことです。電力会社の配電用変電所から、1つの配電線につき平均1,500軒ものお客さまに電気が送られています。波及事故の影響範囲が、近隣の住宅、ビル、工場、病院、銀行、交通機関、交通信号システム、その他電力を使用するあらゆる設備などに及んだ場合、公共インフラの停止や、他社の操業停止による損失や生産停止に伴う莫大な損害賠償を請求されるケースもあります。

波及事故とは?

※2リニューアル専用ポール

リニューアル専用ポールは、既設の古いポールを根元で切って、新しいポールを差し込み固める施工性の高い商品です。短工期・少廃材でリニューアルが可能です。

リニューアル専用ポール

↑既存のポールを切り取り、QQポールを挿し込み、根元を固めるだけなので、作業時間が大幅に短縮されます。

※3塩害地域の区分

塩害が発生する地域は、例えば瀬戸内海の沿岸部の場合、海岸から500m以内を『重塩害地域』、海岸から1km以内を『塩害地域』と区分されています。

塩害地域の区分

↑風向きや河川の有無によっては、沿岸部でなくとも塩害が発生するケースもあるため、設備を設置する際は注意が必要です。

フリートーク・コラム「USBケーブルで作業効率アップ?」

Fides Freetalk Formation

仕事において最近知ったツールのひとつに『デジタルトルクレンチ』というものがあります。これはネジやボルトなどを締めている際のトルク値(どのくらいの力で締め付けているか)を測定する工具で、アナログのトルクレンチより正確な数値でネジやボルトを締め付けることができます。また、このトルク値のデータを本体に蓄積していき、パソコンに繋げてデータ管理をすることができるので、トルク値を記録して提出する書類の作成が容易になります。


このような便利なデジタルツールを活用する際に必要な、名脇役ともいえる必需品といえば『USBケーブル』ではないでしょうか。デジタルツールとPCを繋ぐ橋渡し的な存在であり、データ管理だけでなく、最近では充電する際にも使われているので、使ったことがないという人は少人数かと思います。実際に私の机には、様々なUSBケーブルが張り巡らされています。とはいえこのUSBケーブル、本体同士を繋げるコネクタの形状ひとつとっても、TypeーA、MicroUSB、MiniUSB…など、様々な種類があります。家電量販店でUSBケーブルを買おうと売り場を覗いてみようものなら、膨大なケーブルの列に若干のめまいを覚える程です。


以前、私が仕事でタブレット端末を使った時のことです。現場管理をする上では写真撮影が必要不可欠なのですが、電子黒板の普及もあり、現在ではタブレット端末で写真撮影をすることが多くなりました。以前タブレット端末にて工事写真を撮影した時は、現場事務所へ戻ってPCで写真データの整理をしようとしました。ところが、タブレット端末からPCへのデータ転送が中々終わらない…それどころか、途中で何故か止まってしまう…などという事があり、なぜ?データ容量が多すぎ?と、頭を抱えていました。その後、先輩社員から「これ使ってみな」と、今自分が使っているものとほとんど見た目が同じUSBケーブルを渡されました。懐疑的に思いながらもケーブルを交換してみると、「えっ…?」と驚く間もなく、嘘のようにスルスルとデータ転送が進むではありませんか。そこで初めてUSBケーブルが原因だったことを知ったのです。


この出来事があった当時、USBデータ転送速度のバージョンは3・0以降のもので、コネクターが青くなっているものでした。改めて調べてみると、現在はUSB4(40Gbps)も発表されていることを知りました。今後高速伝送に対応するケーブルのコネクタは最近よく見かけるTypeーCに移行していくそうです。充電用ケーブルも合わせて、私の机にはまた新規格のUSBケーブルが増えそうです。


便利なデジタルツールを導入する際、そのツールだけではなく、こうしたUSBケーブルなどの周辺機器も見直すことが必要になるかもしれません。日々進化し、変わり続ける技術や商品に目を向けて、興味を持ち、日々の業務に活用していきたいと思います。

今月の担当は…

デザインビルドチーム チームリーダー
森 雅也

デザインビルドチーム チームリーダー 森 雅也

それってドーシテ?「へそくりのドーシテ?」

へそくりのドーシテ?

代表取締役会長 並木鷹男 逝去のお知らせ

弊社代表取締役会長 並木鷹男は、
去る2024年6月7日(金)に逝去いたしました(満78歳)。
ここに生前のご厚誼に深謝申し上げ、謹んでお知らせいたします。

代表取締役社長 細矢 充

フィデス社長コラム
『経営の原点』から並木鷹男会長を偲ぶ(1)

“会長に就任し実務を後継者に託した今、お客様に、社員に、変えてはならない経営理念「わが社に関わる全ての人々から信頼を頂く企業」の精神を伝え続けることが会長の使命でもある。”(『経営の原点』より)

会長がかつて執筆していたフィデスレターコラム『経営の原点』には、このような一説が記されています。今号より、『経営の原点』の舞台裏をお話し致します。

創業者である並木昭氏は、公平で対等な関係性を大切にしていました。中でも『社員は家族である』という精神や思想は何度も語られ、説かれていました。ですが、当時そのような価値観は社内には浸透していたものの、明文化されていませんでした。

“1990年、会社は先代が82歳で健在ながらも、専務として実質的な経営を担当していた。経営は新築需要の高まりに支えられ、順調に進んでいた。営業は断るのに苦労するほどの仕事量で、まるで夢のような時代だった。しかし、このバブルがいつまでも続くはずがないと考え、経営理念や方針も確立されていない行き当たりばったりの経営に不安を感じていた。悩んだ末に出会ったのが、経営計画書であり、これが経営の羅針盤となった。”(『経営の原点』より)

その後並木会長は経営の師と仰ぐ一倉定先生に出会い、わが社の方向性を明確にするために、経営計画書の策定に取り組みました。

並木社長(当時)が一人、毎夜遅くまでもがき苦しみ生み出した『経営計画書』が発表された日のことをはっきりと覚えています。経営計画書作成のため、会社の状況、お客様の数、工事件数などを経営幹部に問合せている姿には、鬼気迫るものを感じました。また、会社と会場のホテルを往復しながら何度も何度もミーティングを重ね、社員は経営計画発表会の準備に当日まで追われていました。

1992年8月29日、千葉市内のホテルで第43期経営計画発表会が開催されました。わが社にとって歴史的な日に相応しい晴天で、とても“熱い”一日となったのです。

会場は物音ひとつ立ててはいけないような厳粛な空気と、味わったことのない雰囲気に包まれていました。初めて目にする『経営計画書』 には、どんなことが書かれているのだろうとこの日まで心待ちにしていたことを思い出します。「それでは経営計画書を開いてください」という並木社長のその一言にドキドキしながら表紙を開くと『社外秘』という文字が目に飛び込み、さらにページが進みながら『日本一いい会社にする』の文字に目が止まり、緊張感は最高潮に達します。そして、社長は「全社員、その家族、関わる人々が明るく豊かに幸せにする」と公言しました。これまで口伝で受け継がれていた精神を文章として認識し、新鮮に思うと同時に、とても具体的な目標が記されており、意欲を駆り立てるものでした。

並木社長が心血を注ぎ作成した経営計画書が発表されたこの日が出発点となり、わが社の変革と存続に多く影響を与えたことは真実です。この先、波乱万丈な出来事を経験をするとは夢にも思わなかったのですが……。 (次号へ続く)

hosoya
編集後記
上部へスクロール