FIDESレター 2017年12月号
新年を気持ちよく迎えよう!エアコン・照明のお手入れ
エアコンのフィルターなどが目詰まりしたまま使用していると、冷暖房の能力が低下し電気代のムダに繋がってしまいます。エアコンはメーカー・機種によってお掃除方法は異なります。必ず、取扱説明書をよく読んでから行ってください。
ご注意
変形、変色、傷の原因になるので、お掃除の際には、以下のものは使わないようにしましょう。
- 40℃以上のお湯
- ベンジン、シンナーなどの
揮発性の溶剤 - クレンザーや磨き粉
- タワシなどの硬いもの
フィルターのお手入れ
エアコンのフィルターには、ホコリやチリだけでなくカビの胞子などもたまっていることがあります。フィルターが汚れたままでエアコンを使用すると、これらの汚れがまた室内を循環するので不衛生です。
フィルターを外し、掃除機でホコリを吸いとるか、水洗いをしましょう。水洗いしたら、よくすすいでから、陰干しします。このお手入れは2週間に1度を目安に行なうことをおすすめします。
※水洗いできないフィルターもありますので、取扱説明書を確認してから、お手入れしてください。
エアコン外側のお手入れ
吹き出し口やエアコンの外側は、家具・住居用洗剤を布にスプレーしてふき取ります。(直接エアコンにスプレーしないようにしましょう)
手の届きにくいエアコンの上のホコリ取りには、柄が伸び縮みするモップがおすすめです。
室外機の周りもきれいに
室外機の吹出し口の前に物を置くと、冷暖房能力が弱くなってしまうので、室外機の前は物を置かずに、空気がスムーズに流れるようにしましょう。
照明器具のセードやグローブ、ランプなどにホコリや汚れがつくと明るさが著しく低下し、気づかないうちに電気をムダに使っていることになります。特に蛍光灯は、ランプや器具の表面積が大きく汚れの影響が多くなります。
照明器具を清掃するとき、セードやグローブの材質によって清掃の方法が異なります。清掃する前に、あらかじめ必ず取扱説明書をよく読んで行ってください。
金属・プラスチック部分
やわらかい布かスポンジに薄めた中性洗剤を含ませ、よく絞ってから拭きます。拭き終わったと、もう一度水拭きをして乾かします。
※傷つきやすい素材なので、クレンザーやタワシなどは絶対に使わないでください。
メッキ部分
乾いたやわらかい布でホコリや汚れをカラ拭きします。濡れた布で拭くと、サビや変色の原因になるのでご注意ください。
※デリケートな素材なので、洗剤はなるべく使わないでください。
木・和紙部分
ハケやブラシ、ハタキなどでやさしくホコリを払い、そのあと乾いた布でカラ拭きします。汚れが落ちにくい素材なので、普段からこまめなお手入れが必要です。
※木・和紙は器具の変形、破損にながるおそれがあるので、水拭きはしないでください。
ガラス部分
やわらかい布やスポンジを軽く濡らして拭いたあと、乾いた布で水気が残らないよう拭き取ります。
※消しガラスの場合は素手でさわると指紋がつくことがあるので、必ずゴム手袋をご使用ください。
環境や点灯回数などに応じて寿命が変わります
一般にランプの寿命は白熱ランプで約1,000時間、蛍光ランプで6,000~12,000時間、LEDランプは40,000時間とされていますが、これはあくまでも目安です。蛍光ランプは、点灯回数が多いと寿命が短くなります。『両端が黒ずみだしたら交換時期』と覚えておきましょう。その際にグローランプ(点灯管)も一緒に交換する習慣をつければ面倒も省けるでおすすめです。
家庭から出るランプと企業から出るランプはそれぞれ処分方法が異なります。各指示に従って正しい処分を行ってください。
ご家庭の場合
ご家庭で出たランプ類は市区町村の指示に従い、使用済みのランプを割らないようにして処理してください。ゴミとして捨てるときには、ガラスが飛び散らないよう紙や布で厳重に保護し、ランプと明記して処分するようにしましょう。
企業(施設)の場合
企業(施設)から出たランプ類は、割らないようにまとめて保管し、産業廃棄物として取扱いましょう。
照明器具のお手入れのついでに、器具のチェックもしましょう!
照明器具の交換目安は約10年です
ランプに寿命があるように照明器具にも寿命があります。器具を交換せずにランプ交換だけで済ますと、明るさも低下していきます。照明器具の省エネ率も今と昔では大きく違うので、ランプと器具を一緒に交換することで大きな省エネ効果が得られます。また、10年過ぎると器具の故障率が急に増えていきます。例えば、器具内の安定器が絶縁劣化によりまれに発煙事故に至る場合があります。安全性の面からも早めに点検と交換をご検討ください。
フリートーク・コラム「先輩から後輩へ」
皆様、はじめまして!大網サテライトのチームリーダー、花﨑(はなざき)と申します。月日が経つのは早いもので、一九九五年四月一日に入社してから、二十二年という時間が流れました。入社当時は右も左も分からないひよっこで、工事現場では先輩や協力業者の方々に様々なご指導を頂きました。
当時は、「どうしてこうやって施工するのだろう?」「ケーブルに行先表示をなぜたくさんつけるのだろう?」「図面や試験データの書類がかなり多いなあ」などと思いながら、先輩の指導の元、施工や書類作成をしていました。その後、現場が完成すると、「あの施工方法も、行先表示も、図面や書類も、重要な作業だったんだ!」と気づき、諸先輩方の知識や経験、気遣いには度々感動し、そして驚かされました。
現在は大網サテライトに所属、電気施工管理及び施工作業を担当しています。主に工場関係のお客様施設の電気工事全般、修理等を行っています。地域に密着し、緊急時などは、すぐに駆けつけます。『とにかく対応が早い、何でも出来る』をモットーに、チームメンバーや協力業者様と連携を深め、現場の対応をしています。
近年、電気設備工事も多様化し、日々進歩しています。その変化に対応し、お客様の要求に十分にお応えし、さらに上回る施工や提案を心掛けていきます。お客様の立場になって行動し、お困り事やご要望を素早く解決出来るよう、チーム一丸となって日々努力し取り組んでいく所存です。入社当時に諸先輩方に教えて頂いた知識や気遣いを活かし、そして後輩達に伝えられたら…と思います。
まだまだ未熟な点もあると思いますが、どうぞ御用命の程、よろしくお願い致します!
今月の担当は…
大網サテライト チームリーダー
花﨑 茂雄
それってドーシテ?「科学雑巾のドーシテ?」
代表取締役社長 細矢 充
わが社のルーツを見た
~お客様の問題を解決する城南電設の魂~
♪エジソンは偉い人、そんなの常識!タッタタラリラ♪
千葉県電気協会の研修会で訪れた電気博物館には電気の歴史を物語る、発明王エジソンの電球や電気自動車のバッテリーなどが展示されていた。
電気、その目に見えない不思議な存在は、紀元前600年には既に静電気の存在が明らかにされていたが、漸く西暦1,700年代に雷から電気の存在が明らかになり、電磁石や巻線コイルからモーターが発明された。1879年にエジソンが電球のフィラメント(発光部)に京都の竹を使って連続点灯時間を1,200時間まで延ばすことに成功し、ランプや蝋燭に代って電球が“灯りの主役”に躍り出てきた。
エジソンは発電所を造り、送配電技術を研究し、電気はエネルギー源として産業の発展に革命をもたらした。その当時、アメリカでは『直流』が主流だったが、最大の欠点は大きな電圧降下(送電ロス)が発生することであった。ラジオや蛍光灯を発明したニコラ・テスラは、電圧の昇降が容易な『交流』での送電を推し進め、結果、送電網における“電流戦争”は、テスラの『交流』に軍配が上がった。敗れはしたものの世界初の電気供給事業を興し、その礎をなした実業家エジソンは、やっぱり“偉い人”なのだ。その頃日本では、エジソンの下で電球製造を学んだ藤岡市助が1883年に帰国し、東京電燈株式会社(現:東京電力)を設立した。これを機に電球や電気機器が普及し始めたが、それはまだ都心の法人や富裕層に限られており、配電網が整備されていない地方や一般の庶民まで普及するにはさらに50年を越える歳月を要したことになる。
今回の見学会では、展示物や技術資料、当時の写真などから、電気と我々の生活の変遷を知ることができたと同時に、わが社の創業期に想いを馳せタイムスリップすることもできた。わが社は、終戦直後の1946年に九十九里周辺の無電化地域に電気を供給することを目的に現大網白里市に創業した、と聞く。時代や国、その影響力に大きな違いはあるものの、電気を供給するために尽力したわが社の創業者とエジソンが重なって見えたのだ。勿論、エジソンに会ったことも、残念ながらわが社の創業者が工事現場で陣頭指揮する姿も見たことはないが、人や地域のために使命感を持って突き進む姿を思い浮かべ、万感胸に迫るものがあった。
先日、わが社が創業当時より大変お世話になっている伊勢化学工業様の創業90周年社史を頂いた。興味深くページを捲ると、【社史のこぼれ話】にわが社の創業者の名前を見つけた。わが社の創業者である並木昭前会長が伊勢化学様の発展に大きく寄与していたのだ。感謝をこめて伊勢化学工業90年史【こぼれ話】(原文)を掲載させていただきます。
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<並木昭氏と大洋化学工業株式会社との関わり>
並木昭氏は城南電設企業株式会社(現フィデス株式会社)の創業者で並木鷹男会長のお父様にあたられ、非常に優秀で行動力もあり、特に電気知識に長じていた方でした。
電気学校(現東京電機大学)を卒業後、日本初の電力会社である東京電燈株式会社(現東京電力株式会社)に入社された後、その能力を買われて軍より要請があり、委託研究員として東京工業大学に派遣されました。その研究テーマは戦車の軸受用の人工ダイヤモンドの製法の確立だったそうです。
1942年(昭和17年)、東京工業大学の鈴木博士に千葉県一宮に大洋化学工業株式会社というヨウ素採取会社があり、事業拡張計画を進めているが、電力導入が思うようにならなくて困っているので、東京電燈株式会社にその旨を依頼して欲しいとの要請があり、現地に出向くことになりました。
現地での打合せの結果、大洋化学工業株式会社より依頼され、嘱託電気主任という立場で、その事業拡張計画の電気に関する企画、設計、申請を担当することになりました。坑井への配電にはかなり苦労したそうですが、並木氏の特殊な立場もあって、東京電燈株式会社の職員の協力、支援を受けることができ、大洋化学工業株式会社の事業拡張計画は成功裏に終わったそうです。お蔭をもちまして、今日の当社・一宮工場があります。
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当時、東京電燈株式会社(現東京電力株式会社)にとっても、無電化地区に電力を供給することは並大抵なことでなかったようだ。伊勢化学工業様が千葉県で事業を拡張するためは電力が必要不可欠あり、電力受給に大変苦労されていたが、わが社の創業者の尽力により実を結んだ、それはわが社創業の5年も前のことであり、そこにわが社のルーツがあったのだ。
『最新の技術により、お客様の問題を解決し、いつでも、いつまでも“安心・快適”な建築生産設備をご提供する』この『Mission』を忘れず、お客様第一主義を貫き通し、“城南魂”を継承してフィデスを永遠に存続することを創業者に誓った。
結びに2017年も大変お世話になり心から感謝申し上げます。師走の慌ただしい中、『ご安全』に新しい年が迎えられますようご祈念申し上げます。
フィデス株式会社
代表取締役 細矢 充
社員一同